夢
体に動きがないまま、夢を見、動き、話しているのは誰か。夜になり、あなた方は眠りに落ちる。目は閉じられ、耳は何も聞かず、舌は何も語らず、手は何も持たず、足は歩くことができない。あなたのそばに誰かが来て話しかけても、彼を見ることもその声を聞くこともない 。あなたが見ているもの、聞いているもの、体験しているものを彼も知ることができない。朝起きて、礼拝の後食事を求めるよりも、あなたは夜の間に見た夢の影響の中にいて、喜びや興奮を味わっていて、あなたの愛する人や近しい人などにそれを語ることを望む。空腹にも関わらずこの満足感、この喜びはどこからくるのであろう。
このように日々の生活において、人に空腹を忘れさせ、人に大きな影響を与える出来事があるのだ。これらはすべて魂の喜びであり、魂の興奮である。
1.夢の真実、種類および魂が夢で未来を見ること
眠りに落ちた人は、海に、あるいは宇宙の空間に漂う人のようである。目を閉じたままで漂い、何も見ないまま戻ることもある。手にしていた玩具に夢中になり、それ以外のものは何も見ないまま戻ることもある。あるいは、美しい海の波の影響の中そのきらめきの美しさや、宇宙の不可解な構造を見てそれらを自身の世界にも携えてくる。そう、夢も同じように区別することができるのだ。
場合によって人はただ眠ったことと目覚めたことを知り、目を閉じたまま暗闇を漂っていたかのようで、何も見ることのないまま戻ってくる。
時には、無意識に秘められていた出来事、体験した興奮を伴う出来事、気になって、何度も意識に上る問題などが、眠っている時に意識によみがえる。戦争から戻った人が、何ヶ月もの間寝床から興奮のうちに飛び起きるのがこの種のものである。
さらに、病気や不調さ、病的な精神状態や、気分の不快さからもたらされる夢もある。塩分をとった人が湖のそばにいる夢を見ること、怒りのうちに眠った人が喧嘩をしていること夢を見る、性欲におぼれた人がその種の夢を見ることなどである。
人が常に夢を頼りにすること、夢を見る目的で眠ること、空想にふけること、親鳥に抱かれるように夢に抱かれ、夢判断によって行動を決めることなどは、夢を見たいという病にかかったことの兆候である。
2.真実の夢とは
真実の夢とは、意識下のものや、病気がもたらすものではなく、空想の産物でもなく、清らかな澄み切った感情において、予想もしない時に見られる夢である。預言者や、聖人たちや、誠実なしもべたちの夢などである。時には普通の信仰を持つ人、さらには全く信仰など持たない人でさえこの種の夢を見ることはある。
このテーマを他の観点から見てみよう。全てのものにそれが存在をはじめる前から、それぞれに一つずつの同一物がある。すなわち、アッラーの御知識において、全てのものに一つずつの不変の存在がある。後にこれらは、アッラーのお力とお達しによって現象界に移行するのである。この不変の鏡と現象界の間で役割を果たすもう一つの世界があり、それは「祖型世界(アーラム・ミサール)」[i]と呼ばれる。現象界から抜け出し、一時的な肉体への高速から逃れた魂は、肉体を完全に放棄することなく、この世界へはばたきはじめる。その世界へ到達すると、物質的な限界を超越し、全く異なる次元に入る。そこでは過去と未来は混じりあい、魂はそこで全ての過去と未来を見ることができる。二年分のみいつの夜[ii]を一度に見ることも、二回の犠牲祭を一度に経験することもできる。20世紀にいながら、同時に預言者の時代に生き、自らを教友と見ることもできる。どうしてそんなことがありえようとは言わないでほしい。例えば、円錐形をした山のふもとで、あるいは村にいる人は、そこにおいてはただ、自らの狭い周囲を見ることができるのみである。しかし、ロープウェイや飛行機で上昇すれば、その山の頂上も、その周囲も見ることができる。同様に、たくさんの家、さらにはたくさんの村を見ることができる。
夢もまた、このようなものなのである。無意識の状態となり、魂の擬似が解き放たれると、この祖型世界へ至り、同じことを体験するのだ。
このように、祖型世界から夢を媒介として魂に移行してきたものを、人は、映画のスクリーンで見るかのように見る。過去と未来を同時に見ることもできる。ここで見られるものの一部は明らかで、明快であり、だから容易に理解される。時にはシンボルという形で表れ、分析が必要となる。例えば、祖型世界であなたが見た一滴の水は、りんごとなる。祖型世界であなたが見た汚物は、財産を意味し、あなたがお金を手にすることを示す。もしその汚物が他人のものであればハラームの富であり、あなたのものであればハラールの富である。祖型世界であなたが馬に乗せられたのであれば、それはあなたが目標に到達するだろうということを意味する。だから、あなたが見た夢を性急に自分で判断しようとしてはいけない。あなたの精神状態を知り、あなたのまなざしをくみ取り、あなたの表情から運命を読み取ることのできる英知ある人たちに判断してもらうべきなのだ。
正夢とはアッラーから恵みとして与えられた吉報であり、激励であり、霊的ひらめきや道を示すものであると同時に、警告や注意、という意味での道しるべでもあり得る。ここで取り上げるのは、魂のより進んだ、高度な結びつきを示す、未来に関する夢である。
こういった夢は、私たちが確実に行くであろう墓の世界やあの世から、私たちが現在生きているこの現象界へと、波のように伝わってくるものである。人の五感が、薄い膜のような特性をもつ現象界(脚注2を参照)に対して閉じられ、目覚めというもののメカニズムが消失することによって、あたかも、この世に関わる器官とのつながりを保持している直流電源へのコードが抜かれ、その代わりに見えざる世界との接触とつながりを確保する交流電源へのコードが作動するかのようになる。その結果、現象界に対して閉じられた窓が、祖型世界に開かれることになる。開かれたこの窓からは、祖型世界に関わる見かけと共に、意義や真実のシンボル、この世とあの世の中間である「霊的世界(アーラム・バルザフ)」[iii]から伝わるシンボル、視覚や予知に供される情景、そして未来の出来事のページなどが満ちてくる。夢は、人をこの世から別の世界に運ぶ、秘密を帯びたキャビン、あるいはタイムトンネルということができるだろう。
3.真実の夢のいくつかの例
サイード・クトゥブ教授は(一九〇六~一九六七)は、その解釈本で説明している。「私がアメリカにいたとき、夢でカイロに住む妹の娘の目に、ものを見るのに差し支えるほどの血があるのを見た。私は手紙を書いたが、その返事で、本当に彼女の目に内出血が起こり、治療を受けたことを書いてきた」
エブリヤー・チェレビは(一六一一~一六八四)はその旅行記で語っている。「オスマントルコのスルタン・メフメット四世の娘であるカヤ・スルタンは、夢でその祖父スルタン・アフメッドを天国において見た。スルタン・アフメッドはカヤ・スルタンに『娘よ』と語りかけた。『イェニ・モスクの建設中に私は服のすそで石を運んだ。アッラーは私を天国に置かれた。あなたも来なさい』。その時そばにいた叔父のムスタファは『カヤをそんなに急がせないように。一人、娘ができてから、それから来ればいい』と言った。祖父はその意志で『アル・ファーティハ』と言い、開端章を唱え、両手を顔にあてた。カヤ・スルタンは本当に、出産時に殉教したのだった」
「ロシアにおける神への回帰」と言う名の書物においても、この種の出来事や夢が説明されている。アンナ・オストロフスキーと言う名の著者の母は、ドイツがロシアに侵攻する五年前に、戦争が勃発するところを多くのシーンと共に見ていた。これらは当時の新聞で伝えられていた。
トルコのダーダネス海峡で、第一次世界大戦で連合軍を指揮していたサー・ハミルトンは、一九一一年に夢で海の深い部分に引き込まれ、二つの手がその首を締めるのを見た。目がさめたとき「亡霊のような」ものが、そのテントからそろそろと出て行くのに気付いた。実際ダーダネス海峡は彼にとってあまり幸先のよいところではなかった。逃れえない危険となって彼の上にのしかかってきたのである。
我々の友人の妻が、夜半を過ぎて死去した。しかしまだ誰も知らずにいた。朝になって、クルアーンを学ぶために子供たちがモスクに集まってきた。その際に、十二・十三歳の子供が「昨日の晩友達のお母さんが死ぬ夢を見た。本当のことだろうか」と言い出したのだ。
ある女性がその友人と同様母となることを待ち望んでいた。一人がもう片方に「まずあなたが母になるでしょう」と言った。「どうしてわかるの」と尋ねると「夢で私たちは一緒にいました。地面にベストが落ちてきて、あなたがそれを拾ったから」と答えた。
同じ女性は、祖父が、壁に立てかけられたはしごから落ちて足を折る夢を見た。それから一月ほどして、届いた手紙には「おじいさんがモスクの壁を工事中に、はしごが滑って落ちてしまいました。足が折れて、入院中です」とあったのだ。
また同じ女性が、その叔父が、机に向かっている状態で銃に撃たれて死ぬ夢をみた。それから四年後、叔父が机に向かっている際銃で撃たれたという知らせが届いた。
20世紀の初頭、デンマーク人のニースル・ボア(一八八五~一九六二)は、太陽と太陽に紐のようなもので繋がれて回転する惑星を夢に見た。目がさめると、これらと原子の構造との間に類似性があることを考えついたのである。
ドイツ人の化学者のフリードリッヒ・ケクレ(一八二九~一八九六)は夢で原子と蛇のような形が現れ、それが尾を口に入れるところを見た。目がさめてから、ベンゼンの六角形の化学式を見出した。
ボストンのエリアス・ホウ(一八一九~一八六七)は、あらゆる研究にも関わらず、ミシンに使う針を発明できずにいた。ある晩、夢で野蛮な一族の捕虜となって冷や汗を流しつづけている時、見張りの者が手にしている槍に、目の形をした穴があいているのを見た。目がさめると、一方の端が穴になっている小さな「槍」を作ったのである。
こういった何百もの例があり、それらは一つ一つが魂の秘められた世界からもたらされる光のメッセージのようである。
4.目を閉じた状態でものを見ること
そもそも、目にものを見せるものも脳ではなく、魂である。脳はただ媒介である。目を閉じた状態でいかにして夢を見るのかということを先に述べた。夢でなく、目を閉じた状態でものを見るということの例をいくつかあげよう。
ここでの例はまたロシア、すなわち物質を超越した全てのものを否定している世界からのものとしよう。
「ロシアにおける神への回帰」という本によると、一九六二年にニズニ・タギルという町で、医者たちがローザという少女の目を覆った状態で、ある実験を行なっている。この少女が指の先でものを見て、色を区別し、文字を読むことを目にしている。
イタリアのペサヴォ病院院長のランブローゾ教授は、自著において記している。「十四歳の少女の患者がいた。神経の発作を起こすと、目も見えず、匂いも感じられない状態になっていた。それらの代わりに鼻の先と左の耳たぶでものを見て、手紙を読んでいた。かかとで、容易に匂いも感じることが出来た」
ある友人は、一九八九年一月二九日にドイツのテレビ局ARDの第一チャンネルで放送された、一人の霊能者のショーを見たことを語り、以下のことを説明した。
かなり広いサロンに、飾り付けられたテーブルと、インテリ層の人々。画面に、目を黒い布で覆った女性と助手の男性が映る。二人の手にはマイクがある。霊能者は椅子に座っている。助手は、サロンでテーブルの間を動き回り、皆のそばに行き、テーブルにある食べ物やその他のものを彼らにマイクで尋ねる。霊能者は、離れたところにいて目を覆われているにも関わらず、質問への答えとして、最も細かいところに至るまで説明している。例えば、男性はサロンの一方からもう一方の端にあるテーブルのところまで行き「このテーブルには何がありますか」と尋ねる。そして女性が答え始める。「赤い、ねじれのあるクリスタルの皿の上にろうそくがあります。そのそばに、こういう皿があり、そこにはこれこれの料理があります。それからこれがあって、それがあって...」助手は一人の見学者の鍵を手にとり「これは何ですか」と尋ねる。霊能者は、先にも述べたように目を覆われており、少なくとも百メートルか百五十メートル離れたところにいる訳であるが「フォルクスワーゲンの鍵です」と答える。驚くことに、これほど離れたところの小さな鍵を、何の鍵であるかというところまで見分けている。男性は小さなハンドバッグを手にとり、女性に背を向けて「これは何ですか」と尋ねる。「四つのブリリアントカットのダイヤがついている、黒色で、中にこれこれが入っているバッグです」と答える。バッグを開けると、まさにそのとおりのものが入っている。
そう、目を閉じているのにものを見ているのは何だろう。魂は、脳のシステムと同様、他の全ての器官の司令者である。ただ、司令者として作用するために、この世界において通用する要因や器官を必要とするのだ。ただしこの必要性も、要因の世界で、一定の範疇におけるものである。いうなれば目は、魂に、この現象界を見せる窓という任務を果たしている。それが閉じられていたとしても、人は同じ任務を果たす他の窓を見つけることができうるのである。これは、霊能者やヨガの修行者のように、努力と、肉体に関わらない魂の発達によって得られるか、あるいは、アッラーが望まれた魂にその能力をお与えになることによって、得られるものである。
[i] 訳者注 「祖型世界(アーラム・ミサール)」は、天使や魂は人間にある形で見える世界です。ジブリール大天使は預言者たちにこのように見えたように。
[ii] 訳者注 「みいつの夜」はラマダン月の最後の十日間のうちの奇数日の一日で、聖クルアーンの啓示が始めた夜。
[iii] 訳者注 「霊的世界(アーラム・バルザフ)」は、人が死後、最後の審判の日のために復活するまで魂がとどまる世界です。この世界で魂は周りを見たり聞いたりしますが、物質の世界に連絡できません。ただ預言者、ワリー、殉教者とアッラーが許した人の魂がバルザフで移動できるのです。
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